五感を翻弄するのです
Nov.15.2006
「スモーク」という映画があります。
1995年の作品で、ウィリアム・ハートなどが出ています。前に見たのですが、仕事帰りにレンタル屋で見つけ借りてみました。かつて見たのは 「写真」 がこの映画のカギになっていると友人に聞いたからでした。
ニューヨークのブルックリンにある煙草屋を舞台に、そこに集う人々のちょっとしたエピソードを綴ったもので、村上春樹やポール・オースターの短編小説集を思わせる雰囲気の映画です。そこの常連客にポールという作家がいて、あるとき煙草屋の店主オーギーが趣味で写真を撮っていることを知り、見せてもらうことになります。オーギーが撮っている写真は、毎朝まったく同じ時刻に同じ場所で1枚だけシャッターを切ったもので、4千枚に及ぶ写真は日付順にきちんとアルバムに整理されていました。
ポールにとってはどれもこれも同じような代り映えのしない写真にしか見えず、次第にろくに見もせずに次々とアルバムをめくりはじめます。するとオーギーが言います 「ゆっくり見なきゃダメだ、でないと何も見えない... 同じように見えても、一枚一枚全部違う写真なんだ」 と。世界の小さな片隅に過ぎないけど、そこでもいろんなことが起きているんだと。
そこでポールは、あらためてゆっくりと1枚1枚写真を見始めます。
しばらくすると、ある日の一枚の写真に息をのみます。そこには、数年前に起きた銀行強盗事件で亡くなったポールの妻が写っていたのです。ポールはあふれる感情を抑えきれず、とめどなく涙を流します。オーギーは、ポールが妻の死による喪失感からいまだ立ち直れずにいることを感じて、あえてそのアルバムを見せたのでしょう。1枚の写真によって2人の間に言葉にならない何かが共有され、ポールの心が癒され立ち直るきっかけとなります。 このシーンが実に良いのです。
久しぶりに見て、ひとつ感じたことがあります。
写真は過ぎ去る光景や想い出を保存する記録媒体だと思われています。でも写真を見たときに感じる色々なことは、はたして写真の中に記録されているのでしょうか? 遠い昔の光景、過去の想い出、湧き上がる感情など、それは写真の中では無くそれを見る人の中にあると思います。ですから写真は記録媒体というよりも、むしろ再生装置なのではないでしょうか。写真をみることで、とうに忘れていたことや光景が、思いもしなかった気持ちが再生されるのです。でも写真という再生装置はとても小さくて断片的な再生ヘッドしかもたないため、ぱっと見ただけでは何もわからないし何もおこりません。
オーギーが言うように、写真を見るときは ゆっくり と。
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スモーク(SMOKE/1995年/アメリカ)
監督:ウェイン・ワン
脚本:ポール・オースター
出演:ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハートほか
※村上春樹&ポール・オースターっぽいと書きましたが、調べたらポール・オースター原作/脚本でした。 この映画、ラストもいいです。

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