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解き放たれたと思えても、常に何かにからまれたままだから

Aug.31.2006

train.jpg  絶対的な価値基準というものを考えたとき、はたして僕達に、趣味と嗜好の他になにがあるのでしょう。 たとえば写真の価値、あるいは作品の価値をどこまでも追求していったとき、絶対的な判断というものは誰にも下せないのではないかと思うのです。 これは写真に限らず、詩や文学や絵画、音楽や映画をも含めた現代芸術すべてにあてはまることでしょう。 でも10人のうち10人全員の意見が一致することがあるのも確かで、そこに恣意的な好みの問題を超えた、何か普遍的なものがあるのではと考えることも可能です。 しかしそれは、ある土地、あるいは ある時代の感受性の傾向を表しているだけなのではないでしょうか。 作品の周辺を読み取ることはできても、作品の価値そのものを語ってはいないと思うのです。

だから批評は個々のつぶやきとして、つまり最後には、まわりが何と言おうと僕はこの写真が本当に好きだし、だから僕にとって絶対的に価値があるんだと一人ごちるしかない。逆説めく言い方ですが、どれだけ誠実に主観的であるかが批評の客観性にかかわるように思うのです。

※お茶の水に新しく出来たギャラリーで清家冨夫氏の展示が開催される。 氏の写真集「ZOE」は僕の宝物のひとつ。 ノクチルックスの開放で撮られた女性のポートレイト集を見たとき、窒息に似た感動を覚えた (ライカを買ったのはこの写真集を見たため。 がしかし ノクチルックスは買えてない...)。 セイケトミオは僕の中で別格の写真家。
また9月は中藤毅彦氏の展示が2つのギャラリーで同時開催される。 ロシアと上海の作品。 なんとも嬉しい。

清家冨夫写真展「モノクロームの時間」
(http://gallery-bauhaus.com/kikaku.html)

中藤毅彦写真展「Street Rumbler Shanghai/Russia」
(http://niepce-tokyo.com/index2.html)

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