堪えた感情が吹きだす機会をうかがい始めて、
Aug.16.2006
書くということは隠すということだ、と
かつて友人が言っていた。高校時代に文芸誌を主宰していた彼とは20代の頃、仕事が終ると二人で呑みながらとりとめもなく話したことを思い出す。
書くということは何を書くのか選ぶことであり、それはまた何を書かないのかを選ぶことでもある。書かれた文章の裏には書かれなかった多くのものごとがうごめいており、時にその書かれなかったものの存在が、書かれたものよりもはるかに強く立ち表れてくると。 隠すことで表すというこの逆説は、そのまま写真についても言えるだろう。
その友人が死んだ。
彼は小林秀雄に傾倒していた。
鎌倉を歩きたいと思う。小林秀雄が過ごした鎌倉で、友人が見つめていたものを撮りたいと思う。 たった一人のためにも、写真は撮っていけるのだ...

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